2020年の夏に撮影
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アートは資本主義市場で機能していて、そのマーケット文脈を詠んで、商品として作品を制作しているアーティストだと思う。その考え方がよくわかる動画だった。下記に、簡単に自分が面白いなと思った発言はピックアップしてまとめている。細かいところは動画をみてほしい。動画の中にもwikiの中にも、日本のオタク文化のいいところどりをしただけとか、批判的な声があがっているのも現実だが、僕としては、日本文化を汲みながら世界的なアートマーケットを攻略している人としてとても面白いなと思う。杉本博司さんも村上隆さんもそうだけど、日本の版画家みたいに作品を量産し、リミテッド版と、量産版を複数出しているところも日本人っぽくていいなと思う。そして、商売上手だなとも思う。下記のチームラボの猪子寿之さんの動画がそのアートの価値の概念はわかりやすい。
本文中の発言や流れのピックアップ
・僕はミュージアムインダストリー(おそらく美術館に買ってもらう・展示してもらうことを目的とするという意味だと思う)ではなく、マーケット・資本主義にコミットしているアーティスト
・「アートは資本主義そのものを体現する装置である」という主張でやっている
・26歳の時に佐賀町エキシビットスペースで大竹伸朗さんの作品を見て現代美術作家になろうと決意した
・18歳の時にアニメーションの「銀河鉄道999」「宮崎駿の未来少年コナン」「ルパン三世のカリオストロの城」を見て衝撃を受けてアニメーション作家になりたいと思い、美大を目指し2浪して、美大にはってアニメーション作家を目指したがパッとしなかった。
・海外の作家がなぜ認められているかの研究をした。面白いけど認められてない作家も、なぜ認められてないかを研究した。「君がわからないといけないのは文脈なんだ、歴史なんだ。」と言われる。
・結論から言うと、アートというのは経済活動なんだなと思った。他のアーティストは人脈や美術館にコネをつくるとかが大事だと思ったと思う。僕はニューヨークがキャピタルだったんで、アメリカの資本主義がそのままだろうと。資本主義の一番急先鋒だったシミュレーションニズム。ジェフ・クーンズ、シェリー・レビン、リチャード・プリンスさんがやっていたようなタイトルが必要だろうと。そこで後に「SUPER FLAT」という標語をつくって、アメリカで日本のアーティストを紹介したりした。
・僕の中でずーっとやっているのは「マーケティング」をやっていた。真面目な人たちからは批判もされた。
・エマヌエル・ペロタン・ギャラリーのフランス人のペロタンと関係が続いている。当時はMA GALLERYをやっていた。
・フューチャーインクのハドソンさんと仲良くなり、PI1ミュージアム・プロジェクトのスタジオビジットプロジェクトに参加。そこでプレゼンテーションしたのがセカンド・ミッション・プロジェクト・Ko2というアニメのオタクのフィギュアを等身大に拡大するという大変な事業をやってデビューした
・アメリカはドネーション(寄付)の文化がある。お金持ちの免税などの仕組みが整ってる
・アメリカの現代美術のマーケットほ背景を分析すし、マイ・ロンサム・カウボーイやピロポンなどの作品が生まれる
・アートマーケットで評価を得ていくために、弁護士の費用は毎年毎年あげていった
・日本人の現代美術解釈については間違っている。テレビやメディアの影響も大きい。ビートたけしの「誰でもピカソ」
・格闘技にもルールがあるように、現代美術にもルールがある。それはもちろん少しずつ変わっていっているが。
・日本人は芸術は感性の赴くままに評価していいんだという間違った教育がされている
・村上隆さんが評価されているのは、現代美術のルールと文脈に則っているから
・パクリと、文化的作品に影響を受けて、文脈を受けた上でオリジナルの自分の作品をつくることは違う
・オリジナルは戦略的につくっていかなければならない
・森美術館との関係が後半は多い
・今までは資本主義経済型芸術だったが、これからは心に直接届くような芸術がメインになっていくんじゃないかと思う。「あつまれどうぶつの森」は芸術の極地だなと思った。「ポケモンGO」も。現実とファンタジーがインタラクティブにリンクしていって、コロナで家にいる子供たちがいきいきとしてきて、それに大人も混じってわーーって。こういうインティメート、心に直接届くような芸術というのが、スケール感的にも大きい、素晴らしいではなく、小さくても心に届くようなものが、これからもっと発展するのではないかな。
村上隆:wikiより
村上隆(むらかみ たかし、1962年(昭和37年)2月1日 – )は、日本の現代美術家、ポップアーティスト、映画監督。有限会社カイカイキキ代表取締役、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。学位は博士(美術)(東京芸術大学 1993年(平成5年)。愛犬家。
1962年(昭和37年)生まれ。東京都板橋区出身。1980年(昭和55年)本郷高等学校卒業。高校の同級生に漫画家の原哲夫やトランザクション創業者の石川諭がいた。2浪ののち、1986年(昭和61年)東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年(昭和63年)同大学大学院美術研究科修士課程修了(修了制作次席)、1993年(平成5年)同博士後期課程修了、博士(美術)。日本美術院同人で日本画家の村上裕二は弟。
自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEISAI』プロジェクトのチェアマンを務め、アーティスト集団『カイカイ・キキ(Kaikai Kiki)』を主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開している。同集団は、アメリカのニューヨークにも版権を管理するエージェントオフィスをもつ。
日本アニメポップ的な作風の裏には、日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く、日本画のフラット感、オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれている。中でもアニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。アニメ風の美少女キャラクターをモチーフとした作品は中原浩大の「ナディア」に影響を受けたと本人も認めている。アニメーター・金田伊功の影響を強く受けており、自分の作品は金田の功績を作例として表現しているだけと話したこともある。
漫画原作者である大塚英志は、教授として就任した大学のトークショーにおいて「現代美術のパチモノの村上隆は尊敬はしないし、潰していく。我々の言うむらかみたかしは4コマまんがの村上たかしのことだ」と強く非難し、また、現代美術家がサブカルを安易に取り上げることや、後述のリトルボーイ展の戦後日本人のメンタリティを無視した展示内容に強い不快感を示している。
一方、精神科医の斎藤環は、批判者の言説は「村上隆は日本のオタク文化のいいとこどりをしただけ」との単純な論理に依ると捉え、そのような論理は根本的に誤解であり不当な批判を行っているとして、厳しく非難している。また、村上の作品はオタク文化から影響を受けているだけでなく、それを昇華させてオタク文化に影響を与えてもいると述べている。
村上曰く、「マティスのような天才にはなれないがピカソやウォーホール程度の芸術家の見た風景ならわかる。彼らの行ったマネージメントやイメージ作りなどを研究し自分のイメージ作りにも参考にしている」。
自身に批判的なツイートを公式リツイートすることで、炎上商法・炎上マーケティングを行っていると、ツイッター上で公言している。
きゃりーぱみゅぱみゅの「PONPONPON」(2011年)のプロモーションビデオの発表以降、それに登場する「目玉」や「世界観」が自作品と類似性があると問い合わせがあり、2013年10月頃よりそれが急増したとして、2013年11月18日に、自身の作品は2000年に誕生したものであり、一切関係ないことを自身のサイトで公表した。
生来のアニメ好きが高じて、高校卒業後にはアニメーターを志した。尊敬しているアニメ監督は宮崎駿で、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』を観て、アニメーションの仕事に就きたいと思っていた。しかしながら挫折し、同じく以前から興味のあった日本画を習い、2浪の後に東京芸術大学に入学した。同大学では美術学部日本画科に学び、1986年(昭和61年)の卒業時には『横を向いた自画像』(東京芸大美術館所蔵)を製作・提出。
1988年(昭和63年)に東京芸術大学大学院修士課程の修了制作が、首席とならず次席であったために、日本画家への道を断念する。
1991年(平成3年)には、個展 『TAKASHI, TAMIYA』を開催、現代美術家としてデビューした。同年、ワシントン条約で取引規制された動物の皮革で作ったランドセルを展示する「ランドセル・プロジェクト」を展開する。
1993年(平成5年)、東京芸術大学大学院の美術研究科博士後期課程を修了。「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」と題した博士論文をもって、同大学日本画科で初めての博士号取得者となった。
1994年(平成6年)にはロックフェラー財団のACCグラントを得て、「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在した。
1998年(平成10年)にカリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授。2001年(平成13年)にアメリカロサンゼルスで、展覧会『SUPER FLAT』展が開催され全米で話題となる。
2001年(平成13年)アート制作・映像制作や所属アーティストマネージメントなどを企画・運営・販売等、芸術事業の総合商社「有限会社カイカイキキ」を起業する。また、事業部としてアニメーションスタジオ「STUDIO PONCOTAN(スタジオ ポンコタン)」を立ち上げる。
2005年(平成17年)1月末よりPHS会社・ウィルコムのCMに出演。近年は六本木ヒルズのトータルプロデュースの一員やイメージキャラクター『ロクロク星人』のデザイン、フロアガイド冊子のデザインを手がけている。また『ルイ・ヴィトン ミーツ ネオ・ジャポニズム』と題し、高級ファッションブランド、ルイ・ヴィトンをクライアントとするコラボレーション製品などを発表。
2005年(平成17年)4月、ニューヨークで個展 『リトルボーイ展』を開催。自身の作品の他、ジャパニーズ・オタクカルチャーや日本人アーティストの作品が展示され、またリトルボーイ展では「父親たる戦勝国アメリカに去勢され温室でぬくぬくと肥えつづけた怠慢な子供としての日本と、そうした環境ゆえに派生した奇形文化としてのオタク・カルチャー」、「それがゆえにオタク・カルチャーのきっかけはアメリカにもあるのだ」との考えが提示された。翌年2006年(平成18年)にリトルボーイ展はキュレーターに送られる世界で唯一の賞であるニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞した。
2006年(平成18年)に「リトルボーイ展」の成果として芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。
2007年(平成19年)、カニエ・ウエストのアルバム『グラジュエイション』(Graduation)のジャケットデザインを担当。
2008年(平成20年)、米Time誌の”The World’s Most Influential People – The 2008 TIME 100″(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)に選ばれた。
2008年(平成20年)、「GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞。
2010年(平成22年)に開催されたシンポジウム『クール・ジャパノロジーの可能性』では、「アート界における”クール・ジャパン”の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」と題した講演を行った。講演では、日本のマンガやアニメ、および、それらを生み出した日本自体を肯定的に解釈し、それらの前提のもと、今日ではクールジャパンと呼ばれている観点を日本人作家作品によっていかに西洋アート界に体現させていけるか、とのテーマについて初期から漸進的に取り組んできた軌跡を発表した。
2010年(平成22年)10月に雑誌『SUPERFLAT』を創刊し、創刊号ではジェフ・クーンズとの特別対談や、村上隆、東浩紀、椹木野衣、黒瀬陽平、梅沢和木、藤城嘘、福嶋亮大、濱野智史らの記事が掲載される予定であった(未刊行)。
2016年(平成28年)3月に「村上隆の五百羅漢図展」の成果として平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
総監督をつとめるアニメ「6HP/シックスハートプリンセス」が12月30日より放送され、1時間枠のうち22分を線画状態で未完成の第1話の放送にあて、残りは制作経緯や村上の謝罪といったドキュメンタリーの構成になることが明かされた。その後2017年9月には完全版が放送され、2017年12月23日には第2話が放送された。
2019年3月には、ビリー・アイリッシュのグラミー賞受賞アルバムに含まれたYou Should See Me in a Crown(英語版)のアニメミュージック・ビデオを制作した。