






育陶園
壺滑_ブランド開発
壺屋焼と常滑焼の融合とイノベーション
沖縄に壺屋焼という産地があり、その中の高江州家が営んでいる育陶園の仕事をしている。コンセプトを整理したり、方向を議論したりしていたのだが、ある時「私たちは沖縄の赤土と白土を使っています。」と言っていたので、「それはどういうものですか?」と深掘りして少し聞き進めると「問屋から買っているので、それがどこで取れているかとか明確にわかりません。」と言われて、それはダメだ!と思い、もっと土の解像度あげないと!という問題意識から、常滑で活動する無印良品でプロダクトデザイナーをやっていた高橋考治さんに沖縄に来てもらい、土染めのワークショップをやってもらうことにした。
ワークショップの前後で、一緒に壺屋焼の博物館を訪れて、学芸員の倉成さんの話をみんなで聞きながら、高橋さんは本土の六古窯(ろっこうよう)という文化庁のプロジェクトで、1000年以上続く焼物の産地を調査していて、それと比較しながら、沖縄の焼物の特徴を展開してくれた。
そして、土で服を染めながら、いろんな話をしていると「高橋さんと商品開発したい!」となって、開発がスタートする。育陶園の課題は「ロクロ成形」にわりと依存していて、職人の能力が熟練してこないと、量も質もあがっていかないこと。ベテランの人が数人いるからいいが、将来的にロクロ職人さんに何かあったら、生産量がガクッと減ってしまう。そこで「たたら」や「鋳込み」と言われる技術も導入しておくことで分散していくことが課題としてあった。たたらは、少しやっていたが、技術的課題はあり、鋳込みは何もやったことがないところからスタートだった。
山源陶園の優次さんに技術指導をしてもらいながら、その技術力を少しずつあげていった。そもそも何度も熱心に通いながら他の産地に技術を惜しみなく教えてくれる優次さんの器に感謝しつつ、産地交流もできて、とてもよかった。そして、沖縄の焼物にとっては、技術イノベーションが起きたと思っている。
鋳込みでハブを模した一輪挿しを、たたらで器を高橋さんがデザインしてくれた。沖縄の歴史を読み取り、土器時代が長いから、焼き締めの土の色が見えることが前提でデザインがはじまり、技術的にもチャレンジしながら、入り組みすぎていないミニマルなデザインが高橋さんからあがってきて、その精度をあげていく試行錯誤が1年間常に行われ続けた。今は2026年9月。商品として出せるクオリティにあがってきて、ここから商品の販売開始である。
僕は初期の座組と売っていく仕組みを担当した。僕がプロデュースしたというよりも、コーディネートというイメージで、ほぼ高橋さんが全てプロデュースしてくれたと言っていい仕事だと思う。
育陶園や沖縄にとっても、技術的なイノベーションの一手になったのではないか。