本編動画:多摩美術大学のプロセスデザイン講義
プロフィール
1981年神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。子供時代は毎日虫を探す日々をすごす。目に入る石をひっくりかえし、森や草むらから虫の気配を感じ、採集した虫の営みを観察した経験は、現在のものづくりの取り組みの基礎となる。東京造形大学デザイン学科卒業。広告代理店、デザイン事務所勤務を経て、2011年9月よりデザインスタジオSWIMMINGを設立。グラフィックデザインの姿勢を基軸に、印刷物/映像/展覧会など視覚伝達を中心とした領域を柔軟に繋ぎながら、仕事の規模を問わず、文化と経済の両輪でデザインの活動に取り組んでいる。デザインの仕事は、自分が知らない世界や事象と向き合う機会となることや、人や社会と繋がる行為となること、また世界の捉え方や構造を発見し関与することができるものであり、その可能性に大きな魅力を感じている。
代表的な仕事に、Eテレ「デザインあ 解散!コーナー」の企画制作、「紙工視点」「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE シーズンプロモーション “anima of onomatopoeia”」「虫展-デザインのお手本-(21_21 DESIGN SIGHT) 告知ポスター」のグラフィックデザイン、「デザインあ展」「虫展-デザインのお手本-、デザインの解剖展(21_21 DESIGN SIGHT)」の展示構成など、柔軟に活動を続ける。著書に「解散!の解/解散!の散」(ポプラ社)、「デザインあ 解散 !」(小学館)。2013年より多摩美術大学情報デザイン学科にて非常勤講師を務める。主な受賞歴に第25回亀倉雄策賞、JAGDA新人賞2019、JAGDA賞、東京TDC賞など。
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著書:デザインあ 解散 !
内容
Accumulate design アキュムレイトデザイン
accumulate:積み重ねる、蓄積する、累積する、山積させる、累算する、(少しずつ)ためる2010年ごろからコマ撮りの手法をはじめる。はじめは仕事と関係なくワイフワーク的にやりはじめて、そのうち仕事でやるようになった。それからNHKのデザインあという番組の「解散」というコーナーがあって、子ども向けの教育番組なんですが、日常のものを動かして、要素ごとに並べるという。2011年から担当。
動画内要約
コマ送りの実践がひたすら紹介される
動画内にも事例は紹介されるが、SWIMMINGのyoutubeに、マッチだけの事例集 1000Matchesがあるので、それを添付しておきます。すごい積み重ねだ。
1000 Matches
The Grafphic Design Reviewの中でもこの、コマ送りについて考察されている。
The Grafphic Design Review 公開:2023/03/20
岡崎智弘:コマ撮り/グラフィックデザイン/時間についての私的考察
◉時間の質感
印刷物のデザインにおける紙のように、映像にも質感がある。まず、画面表示速度による質感だ。これは、その動画がどのくらいの速さで画像を連続表示しているかによって異なる。その速度は1秒間に更新する画像の枚数を示す「fps(frames per second)」という単位で書き表される。10fpsのコマ撮り映像だと写真一枚一枚の刺激が個別に目に届き、カタカタとクラフト感を感じるような質感になる。15fpsではクラフト感を感じつつもリアリティのある質感。30fps(テレビ放送と同等)では日頃見慣れた、いわゆる「映像的」な質感となる。それ以上の60fpsになると滑らかで、印刷でたとえるならツルツルなアート紙だろうか。
次にアニメーション自体の質感がある。コマ撮りは、物体を人の手で動かして撮影することの連続によって動きをつくる。その際の動かす量の差分が、動きの質感となる。この差分への感覚は、グラフィックデザインの文字間調整と似ているように感じる。いまから撮影する一コマは、その物体が自らの動力で動き始めた瞬間なのか、それとも別の動力で動かされている状態なのか? 全体のシーケンスの中でこの差分はどのようなバランスにあるのか? などと考えながら対象物を動かす。
「動き」という短い時間についてデザインという技術によって関与することで、このような時間の質感の要素が立ち現れる。そうしたグラフィックデザイナーが好むようなディテールの世界に没入する作業も、私の楽しみのひとつだ。余談だが、最近私は15fpsのコマ撮りアニメーションのなかの特定のコマだけを30fpsに刻む作業を好んで行っている。その行為には時間をまぶしているような感覚があり、動きにほんのりと生っぽい香りが立ち現れるのがおもしろい。
グラフィックデザインとコマ撮りには不思議な類似性を感じるが、それは近代のグラフィックデザインの成立に写真が主要な役割を果たしてきたことに由来している気がする。写真は実空間に要素を構成し、そこから得られる光を平面に定着させる。写真を時間を止めて保存する行為だとすれば、コマ撮りはさらにそれを時間という形式で上書き保存する行為ともいえる。モホリ=ナジはカメラの光学性とグラフィックを合流させたような実験映像も制作していたが、彼が現代に生きていたら写真を動かしはじめて、何か新しいコマ撮りを始めるのではないか、と私は思っている。
https://gdr.jagda.or.jp/articles/62/
まったく話変わるが、呪術廻戦の禪院直毘人の術式「投射呪法(とうしゃじゅほう)」は、この技術の応用みたいなもんだ。
◉続けることで見えてくるもの
デザインとはほとんどの場合、なんらかの完成を目指す行為だ。だが、「つくっている最中にこそおもしろいことがある」というのもひとつの真理だ。忙しさの中では忘れがちなこの側面について、新型コロナウイルスの混乱によって生まれた時間のなかで向き合ってみたのが、《STUDY》というコマ撮りによる実験プロジェクトだ。これは自分が気になっているがまだよく分かっていない感覚について、その制作途中もふくめて観察するための「模型」としての作品で、完成というゴールも目的もない。
さまざまな方向性のスタディのなかで、もっとも長く取り組んでいるのが《Matches》である。たまたま事務所にあったマッチ棒をフレーム内に置いてみたことで始まったこのスタディは、開始から丸2年が経過し、現在3年目に入っている。基本的には始業する前の毎朝2、3時間を使って日課のように制作し、その日できたものをすぐにSNS上に記録としてアップロードしている。
SNS上に毎日イラストレーションやプログラムをアップするような動きはすでにあったが、技術を共有しながらコミュニティを育むような意識は《STUDY》にはなく、あくまでも自分で観察し学んでいく行為をSNS上にも開きながら継続するというスタンスをとっている。(中略)
スタディの最初の頃は、短い時間における動きの質感や構造が興味の中心だった。だが継続することによって、その関心は次第に変わっていった。コマ撮りは写真の一枚一枚の蓄積が動画となるが、同じように、日々動画を積み重ねていくことの意味について考えるようになったのだ。20世紀のモダンデザインは資本主義やテクノロジーを背景に、時間や空間を超えた抽象的で絶対的な価値を駆動させる装置として発展してきた側面がある。とくに近年では、デザインは人間のスケールを超えた速度やダイナミズムに支配されているようにも感じる。だが、私たちの生は有限で、つねに変化し続ける存在だ。抽象的な価値ではなく、変化し続ける生を軸としたデザインの営みはありえないのだろうか? たとえばサグラダ・ファミリアの彫刻づくりのように、動画作りを継続することでなにが見えてくるのか。その観察のためにマッチ棒のスタディを、少なくとも10年は続けたいと思っている。
https://gdr.jagda.or.jp/articles/62/
まとめ
・わからないことをそのままやり、増やしていく。
・経験を積むと物事が解り完成が見える力が育まれる。それとは違う、わからないを楽しむ力に重心を置く
・固定化しない、権威化しない
・いわゆるデザインの仕事はある一点を目指して、検証しすすめていくが、それをしない
・この活動には完成や目的という概念がない、または何かを成すまで非常に長い
・どうなりたい、ではなく、どうなるんだろ?という気持ちによるものの連続
・リゾーム構造でありながら、積層構造である
・単体でなく一連の流れや構造、変化自体が主体となるのではないだろうか?
大人になると、
気がつけばいつからか、
締切があり完成を目指す。
論理的に思考し、計画を事前に立ててから実働する。
ものをつくり、人間が変化しながら生きる時間の蓄積を想像するとき
そこにもともとあったものとは、何だったのか?
感想
ただ、ひたすらスタディを続けていく、積み重ね力みたいなのに度肝を抜かれたとうのが正直な感想だ。ピクセル表現や、コマ送りの表現、今解像度があがって、どんどんグラフィックも映像も印刷も高密度、高解像度になっていくなかで、こういう原始的な表現手法は、飽きがこず普遍的なものになっていくと考えている。
おまけ:岡崎さんが関わっているおまけ
おまけ:コマ送りおまけ
自主制作stopmotionコマ撮りアニメ 「こくせん 黒板戦争」
Her Morning Elegance / Oren Lavie
Western Spaghetti by PES | The FIRST Stop-Motion Cooking Film
MÖBIUS: a collaborative stop motion sculpture in Melbourne
50歳の”不合格”
羊のショーンとかも、この手法ね。