本編後半からのまとめです
35分くらいからの「アートの中で多くのものを呼び寄せてしまうものと、そうでないものの違いとは何か?」という問いに対しての回答がとても面白い。これは、アートだけでなく、デザインもそうだけど、ずっと気になっていた疑問だった。以下、少し前の補足的なところから最後まで動画内より引用
(成田)娯楽・エンタメとしてのチームラボ作品というのも本質的なんじゃないか?と思ってて、その場合、僕が娯楽・エンタメと呼んでいるものは「何か多くの人の心を掴んでしまうもの・多くの人の足を動かしてしまうもの」なんですよ。多くのアートと呼ばれているものの良さでもあり限界は、それがものすごくニッチで、エリート的で選ばれた特殊な人たちの趣味になってしまいがちだってことがあると思うんですよ。この(チームラボ作品は)普通の人がデートのためにも来るみたいなのは、なんで可能になったのですか?(猪子)例えば、答えになってないかもしれないけど、さっき言ったハニ族の棚田(見渡す限りの棚田で、人間の数百年の営みの蓄積によって生まれている)を見たら全人類感動すると思うんですよ。その存在に。そこに行くならば。子供からご高齢の方まで、全ての文化的な背景を超越して。もしくは、アンコールワットにいって、過去の文明が滅びたかもしれないけど、その後自然がすごい生命力でそれを覆い尽くそうとしている姿、もしくは持ってる時間みたいなものを見た時に、それはデートうまくいくと思うんですよ。それ(そこ)を一緒にデートしたら。
(成田)それはそうだと思うんですよ。でも、そういう風にみんなを感動させられるものって、大体2つのうちどっちかの条件を満たされているんですよ。1つは歴史・時間があるかということなんですよ。遺跡とか、その1000年以上続いている棚田とか。もう1つはキャラだと思うんですよ。ディズニーランドとか。で、僕が思ったのはチームラボってどちらもないじゃないですか。なのにも関わらず何千万人とか来るのがなんでなのか?と。
(猪子)僕は長い時間の存在についてどう認識できるのか?ということにはすごい興味がある。だから、どう長い時間の存在を認識させれるのか?には興味があるし、でも話が逸れすぎるから、もう一回ちゃんと普通に答えると「人はまだ知らぬ、見たことがない世界が見たい。」そして、それが見たことがないかつ、知らないかつ、美しいならば、そしてそれが知らない美しさならば、それは人は見たいんじゃないですか?
(成田)でも、その「知らない美しさ」を提供している中で、なぜか多くの人を呼び寄せてしまうものと、そうでないものがはっきりあると思うんですよ。音楽でも舞踏でも、ほとんどの突き詰めているものはどうしてもニッチになりがちであるにも関わらず、チームラボが、猪子さんが違うのはなんでだろう?
(猪子)コンテキスト(文脈)が前提にある革命なのか、もしくは人間の認識・認知の原理に対する革命なのか?コンテキストが前提だった場合(鑑賞側が)コンテキストを持ってないと面白くないですよね。例えばヨーロッパに脈々と続く哲学的な問題とか、そういうコンテキストが前提だった場合、そのコンテキストを共有していなければ面白くない。自分はどっちかというと興味はもっと人間の認識の原理に興味がある。逆に言うとそこに触れた場合は、大きなみんなが見るようなことになる。例えば、ルネサンスの写実の絵は原理そのものなので、ある種人間の原理に近い革命だったので、それは当時、そこにいた人たちが全員夢中になったと思うし、レンズほどのインパクトはないかもしれないけれども、印象派(新印象派)もある種の視覚合成(※1おそらく視覚混合のことを言っている:参考記事)といって、言葉少し間違えているかもしれないけど、絵の具の紫よりも、目の中で混ざる紫は明るい。絵の具の紫は絵の具の赤より明るいじゃないですか、絵の具は混ぜれば混ぜるほど暗くなるので、物質なので。でも赤と青を目の中で混ぜてあげると、それは絵の具の紫よりはるかに明るい。だから目の中で混ぜちゃえばいいじゃないか?そういうある種認知の、原理の革命みたいなものがあったと思うんですね。後の印刷やディスプレイにもつながってる。そういう原理のものについては、当時はエリート層には批判されたかもしれないけど、ある種夢中になった絵とも言えますよね。ある種、エンタメに夢中になったとも言える。
(成田)そういうコンテキストよりも原理や法則の方に明らかに寄ってるじゃないですか。で、それは2つ重要なことを表していて、1つ目は、原理はコンテキストの側と違って、それを(鑑賞者が)意識してるかどうか?それを共有してるかどうかに関わらず、誰にとっても適応できるものじゃないですか。だから、今この時点で(作品を)見た時に、適応できる人の数が圧倒的に多い。それから(2つ目は)、原理の方が時間軸が圧倒的に長いと思うんですよ。つまり、コンテキストって数年から数十年で移り変わっていって、100年前の科学者や芸術者たちが持っていたコンテキストってもやは、僕たちはわからないじゃないですか。だけど、原理や法則の側って人間の基本的な身体の原理とか、それから物理現象を司る法則と変わらないので、だから数百年・数千年単位で生き続けることになると思うんですよね。だからさっき話していた時間を身にまとっている奇跡的なもの(ハニ族やアンコールワットの事例)というのが、多くの人を惹きつけるというのは、それは結果として原理を体現せざるを得ない。ということだと思うんです。もう残ってきたということが、ある種の自然法則をハックし続けたということじゃないですか。それをチームラボは、別の原理に関してやろうとしているということなのかなと。
(猪子)そういうのに、すごい興味があるし、そういうことをやっていけたらいいなとは本当はこっそり思っている。
この対談がめちゃくちゃ面白いなと思って、図解してみた。
動画の中身を図解してみた:アート作品の鑑賞について
既存のアートや美術が難しいと言われている所以は、作品のコンテキストA、鑑賞者も知っておかなければならないという点。純粋に作品自体が視覚的に「好き」とか「嫌い」とかいうのは、表面的な判断としてあるかもしれないが、その作品が評価されているのには、作品のコンテキストAが影響していることが多いにあるということ。よって、左側の状態に鑑賞者がなっておく必要がある。コンテキストBを持ってない鑑賞者は、よくわからない、意味不明だという印象を受ける。何がすごいのかもわからないという風になる。
チームラボ作品で考えてみると、この対談によると、チームラボは原理法則の発見をまず行う。例えば、チームラボ作品は、空間に動植物がよく出てきて、それがプログラミングされ、人間が触ると逃げたり、消滅したりする(インタラクティブに)。これは生物学的な動植物の習性や原理法則を認知しなおして、ある空間によって体感できるように変換している作品と言えるだろう。鑑賞者は、知識や哲学的な前提がなかったとしても「動物や生物を触ろうとしたら逃げる」という認知や「広大な自然に感動する」という認知はすでに持ってるから、チームラボの作品を享受した時に「わからない」とはならず、それがこんなところで体感できるなんて!!という楽しい、面白いという反応になる。しかも、それは、今まで認知できそうで、認知できなかった「わかる!けど知らなかった。」というものである。だから感動が生まれる。
そういう、チームラボは、認知・原理法則「世界の見え方」をハックして、アウトプットしている。それを「アート」という言葉やコンテキストが今は受け皿になっているという感じだろう。実際昔、猪子寿之さんが情熱大陸に出ていた時に「アートが作品の受け皿になってくれたらいいよね。」と言っていて、アートをやっているという認識よりも、認知革命を見出す法則を発見して、その法則を紐解いて、それを多くの人と共有して、認知革命を起こしたい!!という意図が見える。だからアートは今、世の中にある概念の中で、自分たちの表現したいものの、受け皿として今は、一番いいだろうという感じに僕からは見える。終わり
関連おすすめ本
アート-デザイン表現史-1800s-2000s/松田行正:おすすめ!!
絵画の歴史-洞窟壁画からiPadまで-増補普及版/デイヴィッド・ホックニー:超おすすめ。デイヴィット・ホックニーは、それこそ絵画表現の認知を研究して紐解き、それをアートという形で自分でも表現しているアーティストの一人だと僕は思っている。自分がホックニーを面白いと思う理由も、単純な絵画表現ではなく、ある技法の切り取りをして、それを自分というフィルターを通して表現に昇華しているところだと思っている。この本は本当におすすめ!
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この動画の後編も一応貼っときます。
お金の話とか、ルールの話とか、結構面白いです。
関連動画:日本の空間認識と、西洋の空間認識。無限概念、有限概念。
この動画も、定期的に見直してしまう一つ。西洋の空間認識(パースペクティブ)と、日本の空間認識(レイヤー)についての違い。任天堂のマリオの横スクロールアクションと京都の庭園の関係やモナリザ(有名なおばちゃん)、大和絵などを事例に出しながらわかりやすく解説されている。建築をやっている僕にとっては目から鱗の話だった。
個人的には、この動画の無限概念と有限概念の話しもとても好きだった。ナイキの限定品の話しや、アートが一番高く売れるようにするには、作者(アーティスト)が死亡した瞬間に作品の有限性が決定するから、値段は跳ね上がるという話や、日本の北斎などの版画家の無限概念性について。
※1視覚混合
※1
https://artscape.jp/dictionary/modern/1198579_1637.html#:~:text=となりあわせに置かれ,絵画に応用された%E3%80%82
視覚混合(Mixture of Vision):となりあわせに置かれた二つ以上の色彩が、遠くから見ると混じり合ってひとつの色に見える光学現象。色彩の鮮やかさを重視したクロード・モネをはじめとする印象主義の画家たちによって、絵画に応用された。カンヴァス上に並置した鮮やかな色と色が、「眼のなかで溶けあう」ことで生まれる色は、パレット上で絵の具同士を混ぜ合わせてできる色より輝いて見える。ここから、例えば灰色を塗りたいときでも鮮やかな黄緑と赤紫の小さな筆触を並置するという「筆触分割」の方法が生まれ、これはさらに、新印象主義の点描あるいは「分割主義」へとつながってゆく。身近なところでは、この視覚混合の原理は網点スクリーンによる商業印刷に応用されている。そしてこの商業印刷物のパロディとしてのロイ・リキテンシュタインの作品は、網点を誇張することによって、結果として視覚混合の原理の「種明かし」をしてもいる。そのリキテンシュタインに、モネの《ルーアン大聖堂》を網点の手法で描き直した作品がある。おもしろいことにそれは、彼がほかの画家の作品を描き直すときと違って、モネの原作にかなり忠実なものに見える。リキテンシュタインの網点がモネの筆触分割にスムースに重なり合うその作品からは、リキテンシュタインの潜在的な色彩画家=コロリストぶりが窺える。[執筆者:林卓行]